何だか難しい

水面に映る景色の方が心地よいことも

1+1が2であるか、Sympathy For The Devilを感じられるか。ともかくインタビューを受けることは搾取されている気がする。
 
理解をするということは類似する知識や知覚の鋳型があって成立する。知識があっても、わからないものはわからないということもある。そこはある種のあがきと諦観の末「あぁ」と感じるものだと思う。
 
自分もよくわかっていないことが多いのだが、ある種の概念を何とかして理解してもらいたいと思う時に、わからないなりに悩んでもらいたいと思うことがある。傲慢な気もするが、その立場を演じ続ける必要もあると思う。何だか難しいね。