煙草

シチュー

ぐうたらで、ぶつくさ言う以外に、能もない。
能もないのに、ぼてぼてと生きていく。
 
ぼてぼてと生くるにも心の支えが必要で、
嫌なことあれば1本吸い、いいことあれば1本吸い。
 
いいことあれば1本吸い、嫌なことあれば1本吸い、嫌なことあれば1本吸い、どれだけ増えてしまったのやら、肺に穴が空くまで1本吸い。
さて、煙草が吸えないとなると、どうとしたら良いのやら。
 
料理に費やしたら、どうにかなるかと思いきや、お腹がいっぱいになると煙草を吸いたくなり、そこで「むぅ」と思うと吸いたくなる。とりあえず、もう、へらへらと笑うしかない。まぁ笑うったって、鏡の前でにやにやしててもしようがない。古典に新作関係なく、江戸に上方関係なく、寄席の映像を朝から晩まで繰り返す。
 
「そんなうだうだ言ってたってしょうがねーだろ」なんて見てしまう
風向きの方にはお勧めしませんが、談志による、年の暮れの古典、芝浜。
 

 
最後の部分にはほろりと涙してしまう(談志のオリジナルらしい)。
儚い夢だが、この年末、次の年末、これを見た時、僕は涙するのだろうか。