世田谷カフカ

月

さて、明日の朝、起きたら突然、警官に
踏込まれていて、逮捕を告げられる。
 
もう、そのルールに組み込まれているから、
警官は、ルールの役割に従っているのみで、
あらがうすべもない(必要な書類は準備されている)。
 
「自分は、何もしていないから、関係ないさ」なんて言って何が通用するだろう。では、そんなルールがありえないことを把握しているのか、そのようなことが起こりえないことを本当に知っているのか。
 
そんな始まりのカフカの短編小説を組み合わせた演劇(http://www.sillywalk.com/nylon/info.html)である。
「警官が、踏込んだ際、家の服をくすねやがったんだ」と女中にこそっと告げたら、夕には警官が鞭打たれている。(さらに不条理ではないか?)警官は涙ながらに訴える「我々がどんなに貧しい生活をしているのかわかるのか?」「お前は、そんな裕福な身分だからわからないだろうが...」(女中にこそっと告げただけで何故?)
 
自分が従っているルール、他人が従っているルール、世の中に存在していると思っているルール、それをどれだけ知っていると言えるのだろうか?もともと、誰しもが「かんちがい増幅器」なのである。そうならない理由は、残念ながら、ない。
だから、何とかわかってもらおうと努力するし、理解をするよう努力をする(ルールの押し合いへし合いというのはどうも苦手だ)。
 
別なストーリーである女優が、突然父が異なることを告げられて、言っていた。「わかる?私が1番悲しいの。それなのにお母さんも、お姉ちゃんも...」ここで、「そうだね」なんて答える人は、偽善者だろうなって思う。わからないまま、心に傷として残るかもしれないけど、残念ながら図太くも生きてしまうのだ。(もし、同じ悲しみを負っていなければ「とても、悲しかったんだね」と答えるかもしれないな)
 
それから、ヴィレッジヴァンガードに行き、くだらないものを買いあさり(掃除ができるオレンジ色のマトリョーシカのスリッパとか)、餃子の王将に行き、餃子とビール。帰り道、月がきれいね。なんて思いながら歩いて、月に黒く影を映した薄の穂を眺める。同じこの月を見ている人と僕には、全く違うものとしてしか見えないのかな、それとも、この同じ月の光を通して、糸電話のような何か細い糸が繋がっているものなのか。ふふふ、少し、夢見がちだな。