あ、下を向いてくれた

ひまわり

毎日通う道に「何か」が植わってたとしよう。
「最初は、何の植物だろう?」なんて疑惑に過ぎない。
(ちょっと伸びるのが早くないか?)
何気なく見続ける。「もしや?」
(この段階ではうっすらと「何か」はわかってきているのだが、「言葉」とは結びつかない)
「にっこり笑う」かのようにその黄色い花が開くことで、「わぁ」という気になり、背景の青い空をバックに「そうか、夏なんだな」なんて思ったりする。
 
こういう感覚ってのは、身近な人に真っ先に伝えたくなる(まぁ、居たらの話だが...旬というのだろうか?鮮度が高すぎる情報なのだ)。
だが、伝えるにはタイミングというのが重要で「ねぇ、ひまわりが咲いたよ♪」なんて言っても、多くの人には「ふーん」的なものなのだ。
そのため、せめて写真を撮ったり、そっとしまっておくとかする。
(普段、自分であれば「ふふふ」なくらいに笑って「良かったね♪」くらいで返すと思う。テンションの違いに戸惑いながら、どんな風に感じたのだろうと思い、少しずつ増やそうとする。誰でも、いろいろ工夫するもんだと思う。さわったり、嗅いでみたり、食べてみたり?なんてね。だいたい「はぁ」でも「へぇ」でも「ワンダフル!」でもないだろう?)
 
だがしかし、
上を見ているばかりの「ひまわり」が、ちょっと重みに耐えかねたのか、
こっちを向いてくれたのだ。
「あのね、今日、ひまわりが下を向いて笑ってくれたの♪」
ここだけを人に話したら、何らかの烙印が押されそうな気がするのだが、伝えたい感がタイミングを逸していて「ひまわり」が微笑んでくれたら、もう「キュンキュン」で、何らかの烙印を押されても良いのではないかと思ってしまうときがある。
まったく難しいもんだ。
でもね、別にね、同等のテンションを求める訳じゃないんだよ。