ヒノバン

水

水曜に前のプロジェクトの方達と久しぶりに飲んだ(灯ノ番 (ヒノバン) - 茅場町/鉄板焼き [食べログ])。
お昼に「イル バッカ (IL BACCA) - 八丁堀/イタリアン [食べログ]」でついつい食べ過ぎて、お腹いっぱいであまり食べれなかった。でも、何となくなごむ楽しさ。ふふふふふ。こういうのが時々あるってのがいんだよね。
 

  • 何となく

「何となく」とついたのは...どうも、僕に聞きたいことがあり、変化球など幾つか投げてくるのだけど、あまり僕が応えなかったというのがあったこと(何だろうなぁ、その場に居ない人に何となく影響するような気がしたから)。
場面に応じた切り分けはあるのだと思うけど、誰でも歩きたい向きに歩くんだと思うし、僕はその向きを変えたいとは思わないんですよ(そりゃぁ、向けばいいのになんて思ったりすることもあるけど)。でも、そんな「がちがち」なもんでもなく、自分でその人・言葉を記憶してる限り、「人に言われて...」というのもいんだと思います。
 

  • 記憶

2ヶ月位前かな、四季の「ライオンキング」を見た。
さすが、王道だなって思う。素直に面白いし、楽しいし、感動する。
 
だけど、「ライオンキング」のストーリーの記憶よりも、「嬉しかったことって記憶の中で生き続けるよね」「そうですね、楽しいことはいつまでも記憶に残りますね」なんて、ふとした会話の方が、蓮の葉に浮かぶ水のようにキラキラしているものなんです。そして、その水面には、その時の情景が映り込み、ふわっとした気持ち(質感)がすっと蘇るものなんです。
(だからといって、別にどうこうというものではないですからね。念為)
 
記憶というものはあやふやなもので、いろんな感情ですっと色が染められてしまいます。同時に発生しているいろんな感情を見つめること。どんな色に染めるかという自分の意識が大事な気がします(多くの人にとっては、何だか変な話なのかもしれないけど...)。