杜若4/5

杜若

菖蒲ではなく杜若なんだ。紫ではなく、去年見たあの藍色に近いトーン。そんな気持ちが心の隅の方にいる(何かを追い求めてるの?)。
過去の幻影を振り払わなければ。
僕は記憶に縛られ過ぎなのだろうか?
 

  • 気分を新たに

朝、早目に起き、美術館への道を歩く。
五月の陽気、帽子を少し深目にかぶる。
金沢21世紀美術館(メタリックで丸みを帯びていて、「SF小説の近未来」の匂いが少しする)。
金属のラッパ型の管が芝生の上に点々と生えている。この管は、地下を伝い「どこかの誰か」と繋がっている。耳を澄ますと「どこかの誰か」の声が聴こえるんだ。
 

谷川俊太郎の詩をモチーフに表現者達と語り合う場。表現の伝えるメッセージを自分なりに、受け取め、考え、応える。正解なんて勿論ない。
こういう現代美術にある「対話」は、僕は割と好きだ。現代美術は「メッセージ」を持ちすぎていてうるささを感じる時もある。でも、人工物を鑑賞するってことは、そう言う意味も持ってるだろう?
 

  • 1つ、気に入ったもの。

両手で金属の棒を握りしめる。健康診断のようだ。15秒程すると、目の前の電球が、ピカッピカッと光りはじめる。自分の鼓動が電球の瞬きにコピーされる。次に、その瞬きは、上にたくさん並んでいる電球の中の一番手前の電球にコピーされる。次の人は、同じように
繰り返し、僕の鼓動は、1つ前へと進む。僕の鼓動は、前の女の子、その前の男の子よりも、えらく遅い。この子達は緊張してたのかな?僕の後ろの2人連れ、女の子の方がえらく早い。え、見た目ではわからないものだな。外国人の母親。なんだか落ち着きのある鼓動。
 
その部屋の電球は297個
足を伸ばしくつろいだ姿勢で椅子に座る。電球達は、みんなの鼓動を載せてピカッピカッと瞬く。もう、僕の鼓動は、その中に紛れてわからない。コピーされるその一瞬、部屋の電気が真っ暗になる。1人の人の鼓動が加わり、ピカッピカッと瞬く。たくさんのピカッピカッという瞬き、鼓動に囲まれ、ふわっとした気分になる。何て言葉にしたらいんだろう。
 

  • 常設

タレルの空間(その日は少し雲が多い)、レアンドロ・エルリッヒのスイミングプールも勿論、素敵さ。こういうものは、「こうなの?あぁなの?」等とは考えたりしない方が良い。「あれ?なんだろう?」という違和感を感じつつも、じっと待つんだ。その後にやってくる感覚、そこに身を委ねるんだ。

ぼーっと歩いたり、ぼーっと座ったりする。そして、目を瞑る。
杜若。しゅっとした緑の中、きりりとした青。素敵。毅然とした面持ち。杜若の中に隠されている柔肌(気持ちが流れていく)。
それだけじゃないのだ。何だろうなぁ。遠くに近くにと巧妙に配置された緑、水面に映る松。木々の葉のこすれる音、水のせせらぎ、踏みしめる砂利の音。少し寒いにそよぐ風。緑が萌える匂い。言葉が足りない。目を瞑り、描く。
そう、一言で言ってしまうと、やわらかく心にふれる。そう、こういう時、あまり言葉にしない方が良い方がいいと僕は思ってしまう。
 
家族連れが写真撮影をしている。母親が必死に撮ろうとするが、父親は、はにかみながらも、「OK」って顔をする。2人の幼い女の子。幼稚園か小学校低学年ぐらいだろうか。1人はさらにはにかみ、「もういいよ、おかあさん」と言う。もう1人は、「おかぁさん、写真撮りにきたんじゃないんだから」とずけずけ言う。
くすっと笑ってしまう。全く、その通りなのだが。
 

  • 工芸館

隣接して工芸館がある。薄っすらとした桜色。あでやかな花詰め(白)の折り込み。加賀友禅だったかな。僕の髪を触れようとする。袖の端が頬を伝う。髪を触れるときのくすぐったさ。滑らかな絹の肌触り。うっとりとする。自分勝手な妄想。振返ることなんてしないだろうし、「そんなの着ないから」そんな一言で僕は砕け散るのさ。
 
そろそろ、夢の町から離れなくては。