藤棚とあんみつ

藤棚

ぽてぽてと歩き、バス停へ向かう。
亀戸天神前で降りる。
 

  • 藤棚

1つ1つは小さい薄い紫の花。たわわな1つの房となり、房は棚いっぱいに埋まっている(重くないのかな?)。そこに頭をうずめると爽やかな香りが風に漂い、薄紫の道が続くような気分。
(※注 本日時点で咲いてる木は2本。ションボリ)
 

  • 船橋屋で葛餅とあんみつ(葛餅は実家に送付)

ちょっとションボリだが、新茶サービスコーナー発見♪お茶を飲み、境内であんみつを食す。遠くからお囃子が聴こえる。
ふふ。「白玉あんみつ」だ。
あんこ、黒蜜のかかった寒天、それに白い寒天もいる。さらに白玉。サクランボとミカンはさしておいしいとは思えないのだが、色合いと食べるときの嬉しさからすると欠いてはならないもののような気がする。
日差しが少し強いけど真っ青な空のもと。
あんこの甘み、黒密の甘み、満たされる
 

亀戸餃子にビール♪と思ったが、かなりの行列。亀戸中央通り商店街を抜け、侍へ。「侍」はお気に入りの珈琲屋だ。店は普通だが、店員の気持ちが侍っているのだ(きびきびしてて愛想が良い店員とも見えるが、じっと視てると侍を感じ取れるだろう)。
ココのカウンター席は、全て揺り椅子なのだ。深く腰掛け、珈琲を片手に本を開く。揺らぎ。その短編に僕の気持ちが交錯して行く。この本のせいか、この店のせいか、今日という一日のせいか、それはどうでもいい気がして来た。ふふ。と微笑みながら、店を出て、ストーリーに出ていた映画のタイトルを探しに行く。
 

  • バス

京都に居た頃「バスDEコロコロ」という番組がかなり気に入っていた。
バスに乗っていろんな場所や人に触れ合うというモノだ。
 
これが面白いと思うのは京都に住んだことがないとわかりにくいのかもしれない。東京のようにメインの駅から、郊外へ延びて終わりというバスは少なく、区のコミュニティバスのように町の狭間を縫って行くのが基本だ。バスは人を運ぶだけではなく、町に張り巡らされた血脈のようなモノなのだ。
 
だから、単に触れ合いを見ているのではなく、自分の住む町を自分と同じ目線で辿っている感覚なのだ(勿論、越前屋俵太ひさうちみちおを見てるだけでも充分面白いが)。
 
バスに乗る。
それだけでも心に浮き立つものもあるのだ。