ショコラ

ショコラ

ここで言葉にしていこう。表現の方法・タイミングが相応しいのかどうか。でも、書く言葉が1つの僕。
 

  • チョコレートを食べる

僕がチョコレートを食べてた時に、ふと、考えてたことを書く。
特に興味がなければ「あぁ、季節のものを食べたんだな」なんて思ってくれればいいと思う。
 
儀式とはいえ、嬉しい貰いものである。おいしいかも。食べていいのかな。なんて思いながら食べる。口に含むと甘くとろけ、カカオのほろ苦さが鼻を伝う。そして、チョコレートは溶け、口の中に残る余韻を楽しむ。そんなことを思いながら、あぁ、何かお礼しなくちゃなぁ。なんて思ったりする。
そして、チョコレートは、僕の記憶の気持ちの形に惹かれていく。よく、僕は、いろいろな思いをチョコレートのように淡く甘くほろ苦い記憶としてしまいこむ。いいことも嫌なことも。少なくとも人がどうこうというのは嫌だし、自分を責めても限度がある。そっと、仄かな思い出としていく。いいとか悪いとかいろいろあるけど、封印したいわけでもないし、嫌なことだけの記憶にはしたくもない。せめてこの中、この中だけは、僕だけのものだと思う。それも許されないの?
その時、僕はふと思ってしまった。そんなものさえ踏みにじっていく人はいるのだろうか?
何かおかしいんじゃない?と思った。僕は人の動きを少しは予測はするけど、疑おうとは思わない。そう考えるのは人を穢したような気がしてしまう。そして、マイナスばかり考えると気が滅入るし、あまりそうしないで生きてきたいのだ。だから、自分は怖さに脅えてるんだなぁなんて思ったりした。
 

  • 抽象ショコラ変換

チョコレートは、僕の見え方。直接的すぎると辛い時、表現がみつからない時、より相応しいのではないかと思った時、そんな時、「チョコレート」になってしまう。チョコレートが走り始めると、どんなチョコが好きかになったり、チョコにないものを見落としたり、実際のとこ、具体的には何のチョコなんだということがある。だが、安易に使おうなどと思ってるわけじゃない。
 

  • 怖さと決定地点

決定地点というのは2つある。直感か、直感じゃないかだ(他の見方も勿論ある)。直感の決定が重要な場合がある(例えば消防士とかね)。まず、これは脅えたらどうとしようもない。もう1つは適切な情報と判断が重要な決定である。この場合、僕は、「怖いとなかなか決められない」ことよりも、「怖いから決めてしまう」ということが怖い。
どんな場合であれ、脅えは決定地点をずたずたにする。
 

  • 錆びた鉄の楔

僕にとってのチョコレート。人にとってはチョコレートじゃないこともある。錆びて重く、動かしづらい鉄の楔なのかもしれないと思うこともある。楔は邪魔かもしれない。錆びた楔をどけるために、がんがん叩いても鈍い音しか出ないかもしれない。
 
チョコレートは僕の一部
錆びた楔だって、刺激を音に奏で続けてたのだ。心地よい音を奏でられてなかったかもしれない。少なくとも、僕は、錆びた楔だと思って音を聞きたいとは思わない。さらに明確に言えること、僕は、刺激を受けている。そして、音を奏でているのだ。
 
どうとしようもないのかもしれないが、ただ、
そっと、自分で自分の頑張りを褒めてみてはどうだろうか?
絶対、自分が頑張ったと思う以上のことをしてるよ。