ヒトの8割はホルモンで生きている。

ねづじんじゃ

誰でも、喜んだり、楽しんだり、怖がったりして一日を過ごし、眠りにつく。
8割なのは、全てという言葉で表すのが、何かおこがましい気がするのと、実際、反射しかしてない時や、思わず電信柱にぶつかってしまう時があるからである。
暫く前、本屋さんでふと思い出して手に取って、おもしろかったので全部買ってしまった。もう読んだ(最後のとこや新しいとこが記憶の鮮度が良いのはわかるのだが、読む前にそれを聞いてしまうとションボリなのだ)。
 
主人公の女の子(よつば)と周りのヒトたちの日常を描くお話である。何がおもしろいかというと、いろんな登場人物がいろんな局面でいろいろ感じたことが、素直な言葉や動きにみえるところ。そこは手に届くところにあって、安心を与えてくれる。
何だろうなぁ。より、リアルなんだよなぁ。ずっと毎週やっているテレビアニメのような押しつけ感もない。共感したければしていいよ♪という距離感。それが良い。

よつばと! (1) (電撃コミックス)

よつばと! (1) (電撃コミックス)

1つ例を挙げてみよう(文章だけだとなぁ)。
ブランコを知らない「よつば」が、ブランコの鎖をグルグルと捻ってみたりする。手を離すと元に戻りイスの部分に頭をぶつけてしまう。何だかよくわからなくなり、近くのヒトにどうするものか聞く。ブランコに乗るとウキウキがやってくる。そして、いっぱい動かしたくなる。180度回転♪「手を離しちゃダメ!」の声に思わず手を離してしまう。でも、運良く砂場に着地。「こえー!」と叫んで家の方に向かって走っていく。
ホルモンに対する素直な反応。僕はなるべく素直に感じたい。だから、上記のようなことをよくやってしまう(子供な気持ちでいると素直さを出しやすい)。
他の登場人物にも感情移入しやすい(ジャンボのお父さんと3姉妹のお母さんは、ちょっと僕には敷居が高いが)。いろんな自分をいろんなとこに見つけられる。
1巻の最後、雨を感じる「よつば」。このマンガの素敵なとこが集約されてるとこの1つだと思う。
 
自分についての考察
僕のいろいろな僕を見て戸惑う人が多いと思う(掴みどころがない)。そして、僕は「普通にしてるだけなのに」と思ってしまうことがよくある。だから、「一定の場」では「一定のスタンス」をなるべく維持してるつもりなんだが(難しいなぁ)。
僕の頭はかなりホルモンに弱いと思う(特にノルアドレナリンかな)。すぐにその感情に占有されてしまうことが多い。僕はよくぼーっとしてる。これには3つあると思う(主に感情のバッファオーバーフロー)。何かに夢中になりすぎた時。言葉をなるべく与えないように冷ましている時。この状態にならないように慎重になっている時。
だから僕はよく、8割の心づもりで行動することが多い。が、120%になって集中している僕と、80%の散漫な僕の見え方の違いは随分大きいのかもしれないと思うことは多い。
 
反対に、僕は人のそういう側面をあまり気にしない(だってそれって当たり前のことじゃない。身体に素直なだけでしょ)。その場でみるその人、飲んでる時にみるその人、煙草吸ってる時にみるその人。その人には過去も未来もある。なかなか変わらないところもあるだろう。僕なんかでは全然想像もつかない、その人が考えてるその人もあるかもしれない。
僕は、その人らしい状態でいることがいいのだと思う。そこに程よい距離が見つけられていくといいのだと思う。だから、ただ、みたり聞いたりしたものを、そのまま感じたイメージにすることが多い。そして、それが一側面であることを意識する(僕は最初からそこに判断を加える人は苦手だ。もう少しゆっくりでもいいではないのかなぁ。勿論、その方がいいこともあるのだろうが)。
自分と同じくらいのブレ幅で全体を包むように見る。だから、微細な部分を見落とすこともある。そして、突然その人が150%になったり、50%になるとかなり怖い。
こうだからこうというのは、全くないでもないが、あまり決めつけるのはどうかと思ってしまう。そして、妙に相手を想像して気を使うのもどうかと思ってしまう。そこで「自然と」というのがいいなぁと思う。
 
僕は嬉しいや悲しいを感じ、時々周りの人とそれを共有したりなんかして、時々みえるイメージを見直したりなんかして、1つずつ前に進んでくんだな♪
(この鳥居は、ちょうど目の位置に横棒があるのでちょっと屈まないと通れない)