気持ちの起伏、走り書き

おちゃとさんざし

この前貰った山査子を全て食べてしまった...うう。
最近、多くのことを真ん前から受け取ろうとしてしまうので、どうも気持ちの起伏が大きくなってしまう。気持ちのバランス。何とか取り戻せるのだろうか。山査子をひとかけ食べて、お茶入れて、ちょっと笑顔を作って、次の仕事。だってたのに...
 
山査子がなくなったせいかな?今日は思わず文句を言ってしまった。ふつうに聞いてるだけだったのに。
言いたいことはわかるつもり。でも、そう言われても...的なのとか、それってさ、元はと言えば...的なものが積み重なると。どうも。ねぇ(勿論、僕の悪い部分もいろいろあるけど)。
 
結局、何にひっかかったかというと...
「考えてることがわからん」と言われたところだと思う。
確かに僕が多くの責任を負わなければならんと思う(僕にしかできないこと多いし、これを元にかなりのヒトもカネも動くのだし、僕自身なんとかしようと思ってる)。そうは言っても、僕ができる量にも限度はあるのだ。そして、どんなことであれ、予測不可能な部分はある。そういう時に、僕はここまでしかできないからこれしかしない。というのは自分のスタイル的に何とも変な気がするのだ。そういう時、僕は関連する領域を一通り確認し、何がベターかを押さえる。
で、「こういうの必要よね。だから関連領域も全て含めて確認してるんでしょ」と。どうも相手がわかってないところを「そこ、わかってないでしょ」とは言いづらいらしい。
 
多分、他にもう少しいい表現はあるとは思う。まぁ、でも机が横向きなのは良かった。本題はあまり逸れなかったし、その10分後、仄かな笑顔を浮かべてたから。置き忘れた僕のボールペンをある人が届けに来てくれたとき、「迷子になってたよ」と。
 
バーテンダーというマンガにあった台詞を少し思い出す。
相手への意見・文句、それを相手を正面に見ながら言ってしまうと、相手はなかなか受け入れづらい時がある。だからバーのカウンターは皆が横向きになるようにできているのだと。
 
このブログは自分にとってのバーテンダー(優しい止まり木)的なところがある。僕は、自分の不安や不満、感じたことや仄かな嬉しさ、それを、自分の言葉で優しく包もうとする。話したいこと、聞きたいこと、それ以外にもいろんな気持ちも抱えていると思う。誰であっても。そのあふれた部分がちょこっと書かれる。
僕的には、裏表があるような感じは好みじゃない。できるだけ素直に言ってしまいたい。でも、難しい時もあるのよね。実際、他の人からしたら、そんなこと、素直に言っちゃえばいいじゃない的なこともあるかもしれないけどね♪
(こういうことをするには、Twitter(呟き)という方法・ツールもあるだろうが、そそられるけど僕的には好みじゃない)
 
先週末でだいたい整理がついて来た気がするなぁ。ゆっくり慣らしてこー♪