「渋谷のタワーレコード」という単語の意味

今月はチューリップ

古本屋でバイトをしてた友達に怒られたことがある。
この本でよく思い出す。

月魚 (角川文庫)

月魚 (角川文庫)

「渋谷のタワーレコード」ね〜。ん〜場所が移る前はよく行ったなぁなどと答える。
「わかってない」と言われてしまった。
そう、確かに僕は友達の発した単語のことをわかってなかった。無神経な言葉だった。
 
前提、彼は、ある地方の県の出身で、音楽も文学もこよなく愛していた。
その頃、洋楽を輸入して買うとすれば、そこしかないと言えただろう。僕は当たり前のように買いにいってた。
彼は1つ例を挙げてくれた。
 
僕の後輩が、高校の修学旅行で東京に行った。洋楽がとても好きだった。修学旅行に行く。是非ともしなければならないものがある。それは、聖地である「渋谷のタワーレコード」でCDを買うことなのである。聖地。そこには怖れを抱く。自分がそこに相応しくないのではないか。そうであっても、そのCDを買いたい。でも、欲しいCDがどこにあるかわからなかった。
彼女はどうしたと思う?
 
(僕)確かにそう思うかもしれない。でも、ん〜どうしたんだろう、店員に尋ねる?
 
確かに店員に聞いたよ。でも、高校生でできる、できる限りの表現の英語で聞いたんだ。なぜだと思う?
 
(僕)ん〜。ん〜。なんでだろう。。
 
彼女はね。自分の方言が通じないのではないか。そこで、自分が話すことが相応しくないのではないか。そう思い、思ったあげくにその英語になったんだ。
その気持ちわかる?
 
 
 
勿論、言葉には言葉の意味がある。伝えるには一定の意味が必要だ。でも、1つの言葉にはいろんな人のいろんな意味があると思う。確かに、それは、知る必要もないのかもしれない。
 
卵か鶏か的な話だけど、昔、彼と僕が話したこと。
言葉は相手に伝える必要がある。だから、決まった意味をもっているべきであると思う。でも、伝えたい、表現したい。だから、そこに言葉がある。それが本来の言葉なのではないだろうか。
意味という枠に押し込められた言葉の悲鳴が聞こえたりはしないだろうか?
勿論、言葉は意味を持って初めて人に伝えられる。だから、固定化された意味が必要だ。でも、人が伝えたいもの、表現したいもの、それに対して響く言葉を当てはめる。そして、その言葉は、新たな意味を獲得する。新たな意味を加えて言葉は走り始める。
それが、言葉ではないだろうか?
 
僕は時々怖くなる。言葉を紡げなくなることがある。自分の気持ち、表現したいこと、伝えたいこと、受け手の気持ち、受け入れる幅、聞きたいこと、言葉の気持ち、言葉ができること、多くの人がもつ言葉の意味。それがぐちゃぐちゃになってしまう。
自分でできることしか、僕にはできないのだろう。少しでも、そこに相応しいと思う言葉を紡げるようにしていこう♪