小さいけど大きなこと

りんごカスタード

思考についてのメモ
「ある晴れた日に動物園に行って象を眺めていたとしよう」
ぞうがとても好きってわけでもないし、嫌いってわけでもない。この場合だと、空間認識が優先されそうである。この時、頭の中で紙粘土が用意されたりする。それほど固いものではない、フルーチェ?というか、わた(コットン)のような感じである。
くつろいで眺めてると、何気なくわたをちぎっていたりする。
 
 ぞうさん
↓ ↓ ↓ ↓
1 2 3 4
 
この時、何か聞かれたとする。多分、僕は「ホース!」と答えるであろう(急ぎ、他の人にもわかる言葉にマッピングする)。「???」わかる人もいるし、気にしない人もいる。が、多くの人には意味が不明である。この「?」に、かなり弱いのである。「何それ」みたいな表情をされ、間合いを詰められたら、もうだめである。「あ"、ちゃ茶筒」「あと、それ、ホースじゃなかった。急須。取っ手が横に2つ。後ろに長いのが」「それと、箒」ここまで来ればまだ何とかなる。しかし、僕は、あまり意識をせずにわたをちぎっているのである。
 
言語変換された「茶筒」と「急須」が、思わず発せられてしまうと、別な方向に進んでしまうことがある(もう可笑しいとしか言いようがない)。「ちょっと喉乾いたね。お茶飲みたくない?」「???」(この表情に対し、必死に伝える)「あのね、ぞうさんってね、いっつもお水飲んでるでしょ♪」「リンゴジュースも好きそうだよね」「時々飽きたりしないのかな」「水よりお茶の方がいいなって思うこともあるのかな」(ここではもう、元の空間認識はとっくの彼方へ消え去っている。少し早足の人には、伝えたい意味は一向に伝わらない(伝えたいのは言葉の意味ではないのだ。絶えず全てが説明可能じゃなくちゃいけないのか?)。「わからない」素直な一言だ。僕は余裕で踏みつぶされる、でも急いでる人を責めたくもない(僕も急いで歩いてしまうときがある)。僕はこの表現をちょっとずつ進めたりもする。煙草でセロトニンを代用する。
 
もし、笑ってもらえれば、そこから工夫する。でも、情けないもんだと思ったりもする。ただ、僕は、その笑顔や情けなさから、自分へのいとおしさも感じるようにしている。自己嫌悪の沼に嵌り込まないようにするためである。
十数年前の親友と僕は、この気持ちを称号にした。

にっこり笑いながら、
「君には、エゴマーク(自分を大切に♪)を認定しよう」
と。

 
http://www.cubeinc.co.jp/stage/info/pht/kamisama2.jpg
(「神様とその他の変種;CUBE Groupヤフオクのチケット取れた♪)
(この写真は、首都圏外郭放水路らしい。ちょっと行ってみたいななんて思ってしまった)