ネガチョフ&ポジコフ

ひみつ

僕は、TOMOVSKYの曲が結構好き。最近はこの曲がよく思い出される。「どんなとこが好きなの?」

  • 0.1%

「ん。ちょっと好きなだけ」
これでは何だかわからない。僕がうまく言葉にできないか、相手のおしゃべり感の強さを感じた時にこうなる。

  • 1%

「あのね。この曲♪」聞いてもらう。「ちょっと軽い感じだけど、歌詞がちょっと暖かいんだ」「もしかしたら何回か聞かないとわからないかもしれないけど」
これも前提がなければ、何も伝わらない。ここで諦めてしまうこともある。

  • 2%

「繰り返してるとね、何かちょっとその緩い感じがわかるんだ。Flippersとかわかるかな。そういう感じだけど、もうちょっと緩め。こういうのって聞き心地がいいんだ」「あとね、京都にいたころ、磔磔にライブに行ったことがあってね。その時の嬉しさが残ってるのかもしれない」「磔磔はね。町屋がライブハウスになってるの。木造で落ち着いてて素敵なところ」「それと、何かその頃のほっとするような感覚が残ってるのかも」「その感じがわかるといいな」
言葉を尽くして、何か理解の欠片を探す。わかってもらえなければ、それでおしまい。

  • 3%

「それでね、歌詞が何か笑っちゃうんだ」「40にもなってうしろむきでOK!とか言ってるの」「僕のことをほめてよとかひたすら繰り返したりしてんの」「そう、40にもなってこんなに素直にぶつけて来るなんて凄くない?曲を聴いててもそんな諄さやうるささなんて全然ないんだよ」「年をとっても時々はこんなにも素直なことが言えたりすると結構嬉しいかも♪」

  • 4%

「歌詞を時々、自分に重ねてみるとね、面白いんだよ」「でだね、特に最近、この曲にひっかかってるのさ。ネガチョフ&ポジコフ」この後、いろいろ続く。

  • 5%

身振りや手振り、楽しくおしゃべりできたら、もしかしたら5%になるかもしれない。

  • 5%以上

人が人に伝えられるのは拙いもの。ある著名な人の話では1%。確かに全く書きれることではない(うまくも書けてもないし、ここに書いてることも一部だし、言葉にできないいろいろがある)。それだと何だかとても悲しくなる。だから僕はせめて5%って思うようにしている。そして、昔からそう思う。僕がいいなと思う人はそういう話でもいい人。
でも、焦燥感とか、わかりたい熱に冒されてしまうと僕はこういう話を人から聞けない。速度を調整できずに。そして人を傷つけたりする。そう、別に僕は少し話せればいいし、聞いてるだけの方がいいのに。悲しくなる。
僕の話も、こう続かないこともある。そして、こんな話し方では、何を伝えようとしてるの?結論はどれ?って思われることもある。実際のとこ、そう思われそうなとき、僕は別に話したくもなくなってしまう時がある。多くの人にとっては、多分、まどろっこしい話し方だ。
 
勿論、僕だって、普通に話すときもあるけど。。それから、僕は、聞いている時、2%のところで止まったなと感じると、電車の中でぼーっとしてみたり、調べものをして何日か後に聞いてみるチャンスを伺う。でもそのまま抱え込んでしまうこともある。
やっぱり、僕はどこか変なのかな?と時々思ってしまう。