我が闇2

お月♪

僕は、この後にこう書こうとした。
 
最初はこう考えた。
誰が自分の親を檻のある病院に入れる原因を作ったのか。それは、僕?みんな?
僕は、僕が居なくなることの意味はうっすらわかっていた。みんな頑張って生きてきたのだ。逃げていたのは誰だ?
それでもない。
僕は、京都で得た全てを使って両親に仲良くなってもらいたいと思い、東京に帰った。母には、自我という種を蒔き、水をあげ、光をあてて、自分がしたいことをする自分を取り戻せるようにしたかった(55から調理師免許を取るなんてすごいもんだ♪)。そして、父には、見えない感情という弾丸を撃ち込み続けた。母の頑張り、抱いている可能性のある気持ち。父の言葉、父の振る舞い。それが、どのように気持ちに影響する可能性があるか(父は見えないものに悩むということを思い出した♪)。
それが、唯一接点を作り出せるのではないか。
7年努力をした。でも、僕は家族に何もできなかった。
 
そして、僕は、何もできない自分にやるせなくなり、悲しくなった(勿論できるわけないさ。決めるのは僕じゃない。結局は僕が押し付けただけなんじゃないの?)。そして、僕は、僕の道を切り開くことにした。そう、僕にしてあげられるのは時々、暖かく微笑んであげることしかないのではないか。
 
でも、何?これ。何か違う気がする。
 
そう、結局さ、これって、単に自己憐憫の正当化じゃん。
臆病にかまけてうだうだ言って何もしてないだけじゃん。
自己陶酔もいい加減にしなさい。
 
帰り道に月を見ながら僕は笑った。
そう、そう思っていた僕もいる。でも違う。
決めるのは勿論彼らの問題。それはそう。違うのは僕の気持ち。
 
どんな結果になろうと、僕は、僕で喜び、楽しむ。そして、どんな結果になろうと、父にも母にも笑ってあげたい。全てが無意味だったなんてことはないんだよ♪と言ってあげたかったんだ。今、僕は、これだけ嬉しいんだからと。そして、僕は僕と一緒に喜び楽しんでくれる人と、父にも母にも笑ってあげたい。
そう思ったんじゃない♪その気持ちと決心でここにきたんでしょ♪何またくよくよしてんのさ。
 
月を見るためにもう一度外に出て、僕は笑った。
家のことを思うとつらくなる。でも、皆が笑えるようになってほしいと思って、いつも前向きに頑張ってたんじゃない。やっぱり、それは無駄なことなんかじゃないと思う。僕は僕でできる精一杯のことをするだけだ。勿論、丁寧に考える必要はある。でも、この気持ちは本当だと思う。