好みについて、どうもこうもちょいちょい気にかかる
友達と寄席を見に行った。
稲荷鮨を食べ、へらへらと笑いながら、
豆をつまみにビールを飲んでいた。
〆の三遊亭歌之介がとても楽しく、その時点では良かった。
だが、後から振返ると、どうもこうもちょいちょい気にかかる。
「気構えたり、期待したりせず、もっと気楽に」などと友達には言っていたのだが、どうもこうもちょいちょい気にかかる。
- 1つ目は、「粗忽の釘」をやっていたのだが、枝雀の「宿替え(動画)」 *1が、気に入っていたせいか、どうもこうもちょいちょい気に入らない。
- 2つ目は、寄席の中で、落語の合間に講談*2もやっていたのだが、古い日本語がわかりづらく、頭に情景を描きづらかったせいか、どうもこうもちょいちょい気に入らない。
- 入り方のせいだろうか
「くっしゃみ講釈(台詞)」の落語は楽しいのだが、どうもこうもちょいちょい気にかかる。ちょいとした腹いせに胡椒を火鉢にくべて講釈師を困らせてやろうという話である。八百屋に行ったはいいが、胡椒が思い出せずに、「八百屋お七」のからくり*3を一段やってしまうのである。何だか調子の良い歌声なのはわかるのだが、内容はさっぱりわからない。が、調べてみると、とっても悲しく切ない恋のお話で...*4
講釈師が語ってくれるのは、「難波戦記」で、何だか威勢が良いのはわかるのだが、内容はさっぱりわからない。くしゃみを発する落語本編の笑いにそのまま流れてしまう。生で聞いてみてもどうもこうもよくわからない。何か入り方が違うのだろうか...
「寝床(台詞)」の落語は楽しいのだが、どうもこうもちょいちょい気にかかる。『あの浄瑠璃を聞ぃて脳は腐りはせんか、肺はとろけはせんか』などと言われ、『旦さん出て来て例によって「オガオガ、オガオガ」』などと言われるのである。しまいには、『あんまり不思議やっちゅうんで大学病院で解剖してもらいましたら、胸のところからこんな大きな浄瑠璃の固まりが出てまいりました。』とのこと。浄瑠璃*5ってのはいったい何やねん。
入り方というのは、どうもこうもちょいちょい工夫した方が良いのだろうと思いました。