知りたくないこととその反応について

葵

お医者さんは、患者に今の症状に対する因果関係を
説明しなくちゃいけないみたい。
当然。なんだろうね。
 
いや、しかしだよ、何だか変なもんで。
2〜3回、貧血を起こして気を失ってしまった。
勿論、お医者さんは、坦々と説明しているだけ。
 
僕は、相当怖いと思ってしまったか、何らかの拒絶反応なんだろうね。
普通に椅子に座ってたはずなのに、気づいたらたんこぶが
できていて(未だに痛い)、何だかたくさんの人に囲まれているんだ。
 
見えないものが坦々と丁寧に説明されることは、妄想が広がりやすく、
そこに登場してしまう自分に、繰り返し可能性を演じさせてしまうから
なんだろうと思う。
 
高所に恐怖を抱く時もそんな感じだ。おしゃべりなんかしながらだと
良いのだが、一旦、意識してしまうとまずいのだ。
頭がぐるぐる廻るばかりで足が進まない。
 
まぁ、この登場人物が自分でなければオーバーフローは起こらないし、
愉しげな音楽でもかかっていて興味が逸れていれば、あまり問題はない。
だが、夢の中の自分を1つの方向に向けることが出来る人は羨ましく思う。
(「現実がおかしい」なんて言われると一瞬ぎょっとしてしまうし、
 また、「思い込み激しい」なんて言われるのも嫌だろうけど...)
 

姉が来たので、お金をおろしてもらい、テレビカードを買って貰った。
何らかのニュースをやっていたり、鞄の便利な使い方をこれ見よがしに説明していた。何だか要らないと思ってしまう情報を頭の中に大量に挿入されている気分になってしまい、電源ボタンを押してしまった。
 
テレビと言うものは、多くの人にとって「子守唄」なのだと思う時がある。
ただただ、安心をしたいのである。
見れば快楽、知れば社交術、他の人と同じ何かを共有しているという感覚。