階段

芍薬

映画が好きかと聞かれたら、
割と好きな方だと答えるんだろうな。
 
数ヶ月前に「映画篇: 金城 一紀」を読んだ。
「作品は連れ合いが好きだったフランス映画だった。確か、何か有名な賞を穫っていたはずで、著名人や文化人の類の人々が好きな作品としてよく名前を挙げる映画だった。一度、連れ合いに薦められて一緒に見たことがあった。見終わって感想を求められ、正直な感想を口にした時の連れ合いの残念そうな表情はいまでも鮮明に覚えている。普段はほとんど感情を表に出さない人だったので、その時の反応を見たわたしは、ひどく後悔したものだった」
 
そして、話は、連れ合いの死、映画に対する気持ちの変化へと続いていく。
さりげない言葉の連なりに何かが隠れている。
 
当たり前に記憶の中にあるものというものは伝えにくいし、伝わりにくい。だから、時々、そこにある段差について考えてしまう。そして、階段を駆け上がったり、駆け下りたりして息切れをする。別に動かなくてもいんじゃないかなって思うこともある。固定化されてるってことは、いいこともある。いくら繰り返されても、映画を見て楽しそうに話す人は見てるだけでも楽しい。
 
気に入りすぎたり、嫌になったりして、焦り過ぎると話すときに言葉が消えていくという怖さがある。感情の揺らぎも嫌いじゃないけど、微かな笑みや頷き、それだけでいいのにってよく思ってしまう。