それ

何の花?サービス品とあった

実家からの電話というものは、だいたい気恥ずかしくもあり、何かそこはかとなく温もりを持っていて、「うん、うん、わかったよ。元気でね」などと答えるものだと思っている。
時折、素直に感動したり、感謝をしたり、笑ったり、そんなものだと思ってた(ありがたいのだとは思っているのだ)。勿論、時折、うぅむと思い、苛立ちを募らせたりもする。
 
それって「何か」を信じてたってことなんだなぁと思う。
 
そこに「それ」があるのが当たり前だと思ってた。「それ」がなくなるかもしれないというのは薄々と思ってた。でも、「それ」はなくならないと思ってたんだろうな。
電話には、そうだよね。と答えるがやっぱり何だかよくわからない。法律の上の「それ」の位置付けが変わるだけじゃないか。と思おうとするがやっぱり何だかよくわからない。「それ」の形が変わることが、より良いものになるのだ。と思おうとするがやっぱり何だかよくわからない。
 
漠然と「それ」がそこにあるって思い続けるだけではダメなのかな。
僕、僕の周りの人が「それ」を素直に受け入れられなかったからなのかな。「それ」を大事にできなかったからなのかな。「それ」に対する認識のずれは埋まらないものなのかな。もとより、「それ」は存在してなかったのかな。
 
漠然と記憶の中の「それ」のページをパラパラとめくっていく。
 
どんな形でも「それ」は「それ」。
それでも、そこに「それ」があるはずだと思い続けよう。
 
花を活ける。ちっちゃい花がいっぱい。ピンク。
鼻に花のつけるとくすぐったい。澄んだ香りが鼻を抜ける。想う。
その日ちょっと嬉しかったことでも話しながら、ご飯を食べに行こう♪