どっちでもいい?

にゃんこうちゃ

  • 「好き?嫌い?どっちでもいいってのがいちばん嫌だな。」

と昔言ったことがある。
「好きか嫌いがベクトルの向きだとしたら、その思いが少ないのはベクトルの量が足りないんだよね。ちょっとつまんなくない?」
「じゃあ、つまるものって何よ。」
会社の同僚が結婚したので、ふと思い出した。

「普通はこう考える」と。誰しもが、自分のタグ付けで会話をする。どっちでもいい。誰か1人のコンセプトで物事を進めてもいいし、議論して合意する(全体の方向性への影響くらいは考えるけど)ってのでもいい場合もある。

記憶は情動を通すと定着しやすい。「英会話のラジオでも、女を口説くつもりでしゃべるべし」と昔言われた。こういうタグの知識は、やってたころならともかく嘘くさい。でも今でも、好き嫌いの対象ってのも、知識欲で制御可能なものだと思ってしまう。

  • 機能ポイント(Function)よりも感動ポイント(Impression)を

(先日プレゼンでのフレーズ)ソフトウェアだけでもないのだが、基本的に誰しも数値化しやすい指標で物事をはかりたがる。わかりやすいからしょうがない。どこに目的をおいた指標で見るかというのはいろいろ考えさせられる。ステークホルダは複雑だ。でも、儀式は重要だ。

  • 管理とか結婚とか会計とかテレビとか常識とかいったタグはめんどい。

どうでもいいと思ってたことに大事なことがあったりもする。タグ付けして取捨選択したり、仄かな好き嫌いも大切にしたいものですな。でも、振り回されてもいいことはないに違いない。