当り前のことを当り前に

妙本寺の猫

当り前のことを当り前にしたら、それでいいではないか。とは思うのだが、当り前の基準というのは、それぞれであり、人や状況によりその基準は異なる。
 
結果のために調整が必要だが、調整しすぎるのもかったるい。計画は実状からずれたり、リスクを積みすぎて結果が縮こまったりもする。適材適所だとかスタイルでそうなるのだなんて言えば聞こえはいいが、結局は落ち着きのいい場所に落ち着く。働き蜂の3割は、時間や人や結果で引き取ることになるのだが、これを解消しづらい仕組みになると息苦しいと思う*1 *2
 
だいたい「すやすや寝かせてくれよ」なんて思う*3

*1:自分もたいがいバランスはそう良くないが、「性善説に基づいて動くな」なんて言う人で程よくできる人を見たことがない。気を使ってくれている場合もあるのだろうが...

*2:自分のできることを把握して、互いに配慮しながら、目標に進めるというスキームがあると居心地が良い。日曜に友人とアカウンティングの勉強をしているときにそう思った。

*3:厳しい面を見せるのがどうも苦手なようだ。昼は役回りもあるのだ。そんなことより、この猫がどんな夢をみてるのか。今はそのほうがいい。忍び足でとんぼの右後ろから、左手を...