分けられる

ハープ橋

「わかる」ということは「分けられる」ということであり、
「分けられる」ということは「わかってきた」とも言える。
 
「何か」に言葉を与えられるということは、「何か」を
「何かA」と「何かB」に分類し説明できることでもある。
 
ここ新川から佃島に渡る橋は、中央大橋であり、ハープ橋でもある。
ハープ型の吊り橋だから、ハープ橋。
 
単に「隅田川の橋」でも良いし、「あっち側」*1に行く道でも良いし、
3月のライオン*2の舞台の1つでもある。

3月のライオン 4 (ヤングアニマルコミックス)

3月のライオン 4 (ヤングアニマルコミックス)

遠くに目をやり、ふっと深呼吸をする。そんなことを思いながら歩く川縁。
 
だいたい、そんなことわかってなくても生きてける*3わけだが、
そんなどうでも良いことが気にかかる。そして、多くの人にとってどうでも良いことの方が気にかかる。だが、実際のところ、僕とてどうでも良いのだ*4。じゃぁ、どうでも良いのならそれでいいじゃん。
それがそこにある必然性などさしてない*5
だが、それでも何かにしがみつかずにはおれないのだ。

*1:今、僕の居る側が霊岸島か... そういえば今日は祖母の誕生日だったな。

*2:内容はリンク先参照。「ハチミツとクローバー」って、筆者の明るい側面が多く出てたのね、と改めて思う。ここから聴こえてくるのは嵐の中の静寂。

*3:知識を1つ得るということは、何かを1つ忘れるということでもある。

*4:ぜんぶ大事にできるわけじゃないし、ほんとに大事なものってそんなに多くない。

*5:僕自身さえそうさ。