文楽
皇居の側から入ると梅が咲いている。
国立劇場は少しく壮観で、
休み時間に食べた売店のお弁当もおいしかった。
字幕もついており、片耳イヤホンのガイドもつけたので、心強い限りだ。
年寄りの言葉は、何だか高尚な気はするのだが、「オネオネオネオネ」と何を言っているのかわからなくなる時がある。僕には「花菱屋の段」の太夫が聞きやすかった。
背景や人形、今までの話の流れ、今までの人形の動き、表情、そんなことをそっと心に浮かべながら目を閉じる。三味線の響きに語りの声、頭の中でストーリーが再生されて行く。
- 花競四季寿
太夫(語り手)が6人、三味線が6人。何だか圧倒的な強さがある*1。
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- 鷺娘が白無垢を着ている。春を待ちわびて、待ちわびて、桃色に鶴をあしらっている着物にぱっと着替えるところ、ちょっと素敵。自分の中が一瞬にして春の色に埋め尽くされた気がした。
- 関寺小町、柴の庵に帰りけり。関寺小町は自分の心を解きほぐしてくれなかったことを恨み続けたのだろうか。深草の少将にちゃんと伝えようと思ったことはあったのだろうか。
- 嬢景清八嶋日記
僕のような者は、あらすじは読んで行った方が良いのだろう。
話ではなく、情景を聴きに行くのだ(そうしといて良かったと思う)。
いろいろな見方はあるのだと思うが。
江戸時代、三味線の語りに、表情豊かな人形の劇を取り入れたのが浄瑠璃の始まりらしい*6。そして、大阪の竹本座、豊竹座を中心として、近松門左衛門の「曽根崎心中」のような流行作品が幾つも生まれたのだそうだ。その後、文楽座が中心となったので、文楽と呼ぶそうだ。
機会があれば、もう1度、見てみたいもんだと思った。