わかるような、わからないような

竹むらのあげまんじゅう

お見舞いで本を貰った。
「そう、そんな気持ち」と言いたくなるような
フレーズがちりばめられている小説。
気持ちに言葉がぴたっと嵌るような感覚。

WILL

WILL

大事な人を失ったとき、人の中に生まれるのは感情と呼べるようなものではない。少なくとも私はそうだった。それにどんな名前をつけるのかは、人によって色々だろう。私ならば絶情と名付ける。悲しみならば癒せる。けれど、それは感情を絶たれたその先にある。その人の中にありながら、その人の支配を越えた場所で、その人を支配する。ただ大きな、強い何かだ。

「当意即妙」という気もするが、あまりにもぴったり過ぎて、
「本当にその気持ちをわかっているの?」と逆に考えてしまう時さえある。
 

  • 多くの方が見舞いに来てくれた

どうもありがとうございます。
 
嬉しかった反面、その疲れと夜の静けさが際立つ。
(勿論嬉しいのですが、来て貰えた嬉しさのあまり、へらへらと笑ってしまう自分にちょっとうんざりしております。喋るだけでもビクビクなのに)
 
群林堂の豆大福に竹むらの揚げまんじゅうを5個も食べて
気持ち悪くなってるのは、誰だ?
半日おきのレントゲン写真を確認し、再発の可能性指摘され、
禁煙を諭され、しおらしくしてたのは、誰だ?
まずは健康な食生活とか思ってパスタマシンとホームベーカリーを
クリックして購入してしまったのは、誰だ?
 
電気グルーヴ的に「いったい俺は誰なんだ」と言いたくなる所ですが、
来て頂いた方にはあまり関係はなく、ただ感謝したいなぁと思っております。
どうもありがとうございました。