悔しす

誰だ?

写真は昨日の桜見なのだが...
イメージで言えば、こんな感じのヒトたちを相手にして敗戦した感じ(互いが手の内を見せずにずるずると、やっと話し合う段になったら気持ちのこじれで否決)。
実質の準備は短いのだが、僕の気持ちの中では半年以上狙ってたのでかなり悔しい(まぁ次があるかぁ♪)。
 

  • 議会制民主主義的な決め方

人数が多いのとその特色のせいだと思うが、国会中継に紛れ込んでしまった感じ。いろんな人がいろんな人の様子を窺い意見を出して、その流れで内容は変容して行き議決される。
僕は下っ端なりに指示を受け、準備や手配を行ってた。いきなり責任を引き渡され「あなたが主役ですから」はないだろう(審議を通すための流れを作るのは僕の役目じゃないだろう♪それなら見合う権限を僕に与えて欲しいもんだなぁ。うぅむ)
 

  • 気持ちの2重管理

「集団作業のゴールが達成できると良い」そのための僕にできる最善の手段を提示したのだ。そこに満足しよう(でも、代替案も出さずに否決って何さ。やっぱり悔しいのは悔しいのだ)。
 

  • 気持ちのこじれ

こじれた主因は、周りの人の気持ちのこじれ(相手やモノが見えづらいことへの不安)。もう少し伏線を張らせてくれたり、公に準備させてくれればと思ってしまう(僕にだけ、みんな後から賛意を伝えてくるってどういうことさ? 立場の中でも互いのために延ばせる手って少しだけでもあるだろう)。
 
たいていの場合、相手に対して何かの気持ちを抱いていれば、相手も何かの気持ちを抱いてるもんだと僕は思う。それは、見えづらかったり、扱いづらかったりするものかもしれない。でも、無闇に勘ぐってこういう立場にはこういうものだというだけというのはどうだろう?
「同じゴールに向かうのだから、互いにちょっとずつ手を延ばしてみてもいいのではないか」なんて思ってしまう(自分でもなかなかできなくて難しいと思うけど、これが1番悔しいんだと思う)。